まおゆうを観た。前に観ていたはずだけれど流して観ていたようで初めて観た感覚だった。
- 衣食足りて礼節を知る
- 倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る
一国の為政者たるものは、計画をたてて経済を豊かにしなければならぬ。豊かな国へは、どんなに遠くからでも人民は集まってくるし、開発の進んだ国から逃げ出す人民はひとりもいない。その日暮らしにもことかく者に礼節を説いたところでなんになろう。生活が豊かになれば、道徳意識は自然と高まるものであり、衣食が十分であれば、自分の名誉や恥とかを重くみるようになる。 民生の安定があってこそ政治が行える。その先に教育である。
丘の向こう。つまり真なる平和と言うことが出来ると思うけれど。 自分はかなり楽しめた内容であったので、感想などググってみた。 まおゆうでは丘の向こうへ行く術というのは提示されていない。といった意見が結構目についてなるほどと思った。
書きかけ。続きはまた書く。
わたしは、私は、魂を持つものとして、みなさんに語らなければならないことがあります。
わたしは、私は、実は農奴の子として生まれました。 私は、7人の兄弟姉妹の3番目として生まれました。 兄は、農作業中に腕を折り、そのまま衰弱して捨て置かれました。 姉はある晩、地主に召し出され、帰りませんでした。 冬の良く晴れた朝、一番下の弟は、冷たくなったまま、とうとう目を覚ましませんでした。 疱瘡にかかった兄弟もいます。
私は何もできなくて、生き残ったのは、私と妹だけです。
ある時、逃げ出した私たちに転機が訪れて、それは運命の輝きを持っていましたが、私はずっと悩んでいました。 ずっと、ずっと。
運命はあたたかく、わたしにやさしくしてくれました。 「安心しろ、何とかしてやる」 しかしみなさん。貴族の皆さん。兵士の皆さん。開拓民の皆さん。そして、農奴の皆さん。
私はそれを、拒否しなければなりません。 あんなに恩のある、やさしくしてくれた手なのに。 やさしくしてくれたからこそ、拒まねばなりません。
わたしは、人間だからです。 私は、自信がありません。 「このからだの中には、卑しい農奴の血が流れているじゃないか。」 「お前は所詮、虫けら同然の人間もどきじゃないか」、と。
だからこそ。 だとしても、私は、人間だと言い切らねばなりません。 なぜなら、自らをそう呼ぶことが、人間であることの最初の条件だと、私は思うからです。
夏の日差しに頬を照らされる時、目をつぶってもその恵みがわかるように、胸の内側に温かさを感じたことはありませんか? 他愛のないやさしさに、幸せを感じることはありませんか? それは、みなさんが光の精霊のいとし子で、人間である証明です。
―やめろ!異端め。
異端かどうかなど、問題にもしていません。 わたしは、人間として、冬越し村の恵みを受けたものとして、仲間に話しかけているのです。
みなさん。 望むこと、願う事、考える事、働き続ける事をやめてはいけません。 精霊さまはその奇跡を以って、人間に生命を与えてくださり、その大地の恵みを以って、財産を与えてくださり、そのたましいの欠片を以って、わたしたちに自由を与えてくださいました。
― 自由?
そうです。 それは、よりよき行いをする自由。 よりよきものになろうとする自由です。
精霊さまは完全なるよきものとして人間を作らずに、毎日少しずつ頑張るという自由を与えてくださいました。
それが、「歓び」だから。
だから、楽するために、手放したりしないで下さい。 精霊さまの下さった贈り物は、たとえ王でも、たとえ教会であっても、侵すことのできない神聖な宝物なのです。
―異端め!その口を閉じろ!
閉じません!
私は、人間です!
もう私は、その宝物を捨てたりしない! もう「虫」には戻らない!!
たとえ、その宝を持つのが、つらく、苦しくても、あの昏い微睡みには戻らない!
光が在るから! やさしくしてもらえたから。
―この異端の売女めに、石を投げろ!何をしているのだ!?石を投げない者は、すべて背教者だ!!
投げようと思うなら投げなさい…っ!! この狭く、冷たい世界の中で、家族を守り、自分を守るために、石を投げることが必要なこともあるでしょう。
私は、それを責めたりしない!
その判断の自由も、また、人間のもの。 その人の心が流す血と同じだけの血を、私は、この身を以って流しましょう。
しかし。
「他人に言われたから」 「命令されたから」 という理由で、石を投げるというのなら。
その人は「虫」です!!
自分の意思を持たない、精霊さまに与えられた大切な贈り物を他人に譲り渡して、考えることをやめた「虫」です! それが、どんなに安らげる道であっても、宝物を譲り渡した人間は「虫」になるのです!
私は、「虫」を軽蔑します。 わたしは、「虫」にはならない…っ!
わたしは、私は、人間だから!!!